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現在大学生。読んだもの、見たもの、その他経験したものをアウトプットする場として活用しています。

「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」

「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」

「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という話で、老子は「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」と言うわけだがこの考え方は現代社会では通用しない。昔と違い技術革新を繰り返してきた現在の社会では、金になる知識を理解するにはいくらかの頭の良さが必要だ。頭の悪い人にいくら複雑なことを教えても分からない。

 

世の中には生まれてきた環境が悪いせいで本領が発揮できていない人材もいる。ホームレスや社畜が全員本質的に頭が悪いとは限らない。親とか学校とか友達とかそういう環境に恵まれなかったから、本領が発揮できていないのかもしれない。だがら前提として、教育費の補償は大事だ。

 

しかし、いくら最高の教育を全員に施したところで、究極的に頭の悪い人はどうしようもないのだ。であれば、その一部分の人間には定期的に魚を恵んであげればよいだけだ。

 

この見方は「すばらしい新世界」でも見られる階級思想だ。アルファ階級は知的であり、社会のリーダーであり幸せだ。その一方でエプシロン階級は少しの単純労働と後は遊び惚けることができる。つまり頭が悪い人も良いとも皆が幸せな世界なのだ。

 

わざわざ明確な階級をつくる必要はないが(もちろんわれわれ人間は物語のような人工物ではないため、階層同士の対立が起こりうる可能性がある)、社会を引っ張っていく人と、それについていく人という大まかな二つの人種がいてもよいのではないか。頭がよい人はただでさえ特をしているのだから、彼らは頭の悪い人を引っ張っていくことくらいしてもよいはずだ。

 

この考え方を現実世界に落とし込むと、セーフティネットベーシックインカム+「ニート=悪」という価値観の払拭となるのではないか。